独自の予想が的中率
競馬で夏シーズン、非常に暑い中または梅雨天候の中で行われている宝塚記念なのですが、このような悪条件の影響でしょうか、
宝塚記念において優勝を飾った競争馬でとても悲しい末路をたどってしまった競争馬に、「ダンツフレーム」がいます。
この「ダンツフレーム」は、平安ステークス予想の歴史の中で、最も強い競争馬が揃い踏みだったとされている、1988年に産まれた競争馬の中の一頭でした。
また同じ年の生まれでは「アグネスタキオン」「クロフネ」「マンハッタンカフェ」「ジャングルポケット」「エアエミネム」などの古馬以降でもかなりの活躍をした競争馬達がいます。
この「ダンツフレーム」なのですが、日本ダービーや皐月賞では2着になっていて、実にデビューしてからの8戦全てのレースで、連対を成し遂げるといった快挙を達成しました。
ですが、3歳秋になってからはほとんど活躍が出来ずに、連対を外すことが重なって、その後の安田記念において、復調の感触をやっと取り戻した感じでした。
それから復活をかけて臨むことになったレースこそが宝塚記念でした。
その時の人気は一番で、また結果も切れのある末脚を活かして、それはみごとな優勝をしたのです。
この勝利こそが待ち焦がれたG1レースでの初優勝になりました。ですが、この時から苦難が待ち構えていました。
それからは大負けするレースも増えていって、優勝から1年も経たない間に、屈腱炎になってしまって、引退ということになってしまいました。
そしてそれからというもの、種牡馬として生きていければということで方法を探したのですが、あまりうまくいっていなかったという経歴や血統上であまり華が無いといったことが理由となってそれもうまいこといかなかったのです。
そういったこともあって、引退した競争馬としてはとても珍しいことなのですが、地方2012アメリカJCCでの再起といったこともしてみました。ですが、この再起もケガの後遺症といったものがあった為なのか、良い結果を出す事も全く無く、再引退といったことになってしまいました。
そして最後には色々な模索した事もうまいこと行かずに、7歳にして肺炎にかかってしまって死去してしまったのです。
G1で優勝した競争馬であるのにとても悲しい末路になってしまった「ダンツフレーム」なのですが、その結果から宝塚記念において優勝を飾って、その時点で本当に全部の力を出してしまったのではないかと思われています。
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